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 『涼宮ハルヒの消失』を見てきたのですがー。
 どうにも合わなかったです。
 原作もこんなカンジだったっけかなぁ……。


 冒頭、なにかが起こっていると察してからのキョンくんの行動が、あまりに浅慮で気持ちが乗れなかったトコロが始まりかなー。
 手当たり次第にクラスメートへ当たってみたり、挙げ句、朝比奈さんには
 「胸の谷間に星形のほくろがあるはずです! 見せて下さい!」
 ――って、あーた。

 作品世界の常識であり、視聴者も一緒になってその共通知を味わうトコロなのでしょうけれど……。
 このあたりのキョンくんの行動は「主人公としての驕り」があるのではないかとカンジてしまったのです(それは制作側の甘えという原点があると感じます。根本的にはキョンくんのせいとは違います)。

 「脇役以下じゃないか。そんなのイヤだ」といったセリフもありましたが、それもなぁ……。


 まぁ、そうして失ったモノの大きさに動揺し、惑い、それでいてようやく辿り着いた「藁」がやはりハルヒであったことにカタルシスがあるのかもしれません。
 この作品のキモのひとつっちうか。
 にしても、そこまでのキョンの行動をわたしはそれほど理解できませんし、察しようにも共感できないのです。


 大変だったな……とは思うものの、事件もなにもかもが用意されていた感があって、空虚なものを覚えてしまったのです。


 ああ、そうか。
 ハルヒと出会い、SOS団の面々と一緒に活動して、さらにその外の社会へもつながりを持った、拡げたキョンくんの、あまりに「世界に用意された主人公然」というポジションが妬ましいから思うことなのかもしれません。
 キョンくんの言葉を借りれば、わたしは「脇役以下」なのですから。


 ヒロインたる長門も、カワイイっちゃあカワイイのかもしれませんけれど……。
 うーん。
 そこまで惚れ込む要素は、わたしにはなかったということで。



 1期?のTV版でわたしが好評したのはライトノベルという媒体の解釈を、京アニがとても深く捉えて描いたトコロにあったとおぼえているのです。
 表現の方法論として。
 あれから数年経ってこの映画「消失」があるわけですが、そこに解釈として京アニらしい表現方法があったのでしょうか?
 ここがなぁ……。
 わたしには見えてこなかったというか。

 作画が綺麗とかそういうレベルの話ではなくてー。
 楽しみにしていたのは長門の可愛らしさでもハルヒの奔放さでも両者のギャップ萌えでもなくて。
 ライトノベルからアニメーションへ、媒体が移るときの技術の変遷と挑戦だったのだと理解します。

 丁寧な作品でした。
 でも、意欲的なアプローチがあったのか、わたしは感じられなくて残念だったのですね。
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