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 ぜっつみょーっ!(≧▽≦)
 小粋なテクノロジーに人情味を合わせて物語らせたら、小川センセは当代随一ですなぁ。
 荒唐無稽なSFではなく、きちんと現実に立脚した技術。
 それは「今日」を描いたものではないフィクションなのですけれど、「明日」には本当になるかもしれないリアリティを感じさせるのですよねー。
 この、「ちょっとした未来」をのぞく感覚がとても興味深いのだと思うのです。


 あー……。
 じつは「興味深い」ではなく「面白い」と述べたかったところなのですがー。
 今作ではそう単純に言い切れない部分を感じます。

 私見ですけど小川センセは「技術が今日の困難を救い、明日を作る」みたいな希望に向かったお話を作られることが多かったように思うのです。
 でも今作では「楽しいことも悲しいことも全部が現実にはあって、そのなかで技術と人はどう共に歩んでいくか」というあたりに迫られているのではないかと感じました。

 なかでも未知のウィルスが広まった世界を描いた「白鳥熱の朝に」は、昨今のインフルエンザの流行という現実相まって、けっしてフィクションだと受け取れない重みがあります。

 自分が、あるいは自分の知人が、その流行の発生源となってしまったら。
 慎重ではなかったかもしれないけれど瑕疵だと責められるまでのことはしておらず、ただ日常を生きていただけで責められる立場になってしまったら。

 「笑うな三柿野芳緒! 泣け、死ぬまで泣いてろ! おまえ一生泣いてろよ!」

 責任の全てをその事実を持つ人に背負わせるのは酷というものです。
 しかし誰かに責任を負わせなければ、あるいは誰かを「悪」としなければ、突然倖せを無くした人にとってはやりきれないのでは……という気持ちもわからないではないのです。
 人間は、常に正しくあるように強くはできていないのですから。


 倖せを「奪われた」と表現することがあるのも、そういう理由なのかもしれません。
 自分たちには罪も落ち度もないのに(責められる立場ではないのに)という主張。
 そして「奪った」という能動的な対象がいるという主張。
 生きていればそれだけで倖せになれるはずなのに、そうならなかったことへの不満はどうしてもはけ口を求めてしまうのでしょう。


 ただこの話、絶対的に凹むような鬱話ではないのです。
 希望かどうかは人それぞれかも知れませんけれど、やはり小川センセは人間の善性を信じられているのではないかなーと思うのです。
 この世界には良いことも悪いこともあって、だからこそ人間にも善性が与えられていることを信じる。
 そんな思いがこの作品には込められているのではないかなぁ……。
 そう感じたのです。

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