本やアニメの感想と、日々のつれづれなることを~。
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 着想ではなく知識から作品を作ってるカンジがするー。
 推理ミステリだと、その成り立ちは致命的な気がします。
 「物の見方」にキモがあるのではなく「情報の有無」にウェイトがあるので。
 ようは「知っているか、知らないか」って次第。

 『成風堂』シリーズでも状況は同じではないかと思うのですが、あちらは「書店員の視点」という要素が加味されるので、単に「知っているか、知らないか」では判断できないのですよね。


 事件推理の展開も大雑把というか……。
 高校卒業を前に気持ちを整理するため、6年前に幼馴染みの身に起こった事件の真相をつきとめようと動きだすのですがー。
 6年間まったく変化を見せなかった事件の概要が、今回、主人公が動き出した途端にあれよあれよと進展を見せていく様が不自然に思えて……。

 しかもその捜査の効率の良さったらないわー。
 とにかくハズレを引かないっていうのはスゴイ。
 行く先々、会う人会う人から新たな情報を得て真相へと近づいていくという。

 次の行き先は往々にして向こうから呼び込みかけてくるので行動するにも迷いが無くて、途中で悩む必要が無いのですよね。
 だもので推理するのは最後の最後。
 まさに推理にもハズレ無し。

 んー……。
 経験値貯めながら街から街へクエストをこなしていくRPGみたい。


 真相をミスディレクションする要素も存在していて、それは最後まで可能性を持ち続けていたので「推理するのは主人公ではなく読者」というスタンスで読ませていたものだったのかもしれませんけれどー。


 主人公の周りに魅力的な可能性をはらんだ友人が少なくない数いたのですが。
 彼ら彼女らがそのミスディレクションを生み出す仕掛けとしか働いていなかった点が残念。
 個に収めて解決するのではなく、謎や悩みを集団で共有できたほうが良かったのではないかなー……って気がします。
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 なんか、こう、消費者のわたしには見えないところで、F1の(市場?)価値ってものが驚くべき早さで下落していっているカンジでしょうか。
 昨今の政治劇は「ミソがついた」と大雑把に言うこともできますし、そこで投下する資本の急騰ぶりのほかにも回収率の悪さ(非効率さ?)も目に余るところとなってきたのでしょう。

 GPのファンのひとりとしても、この世界になんとなーく閉塞感が漂ってきているなー……とは感じます。
 いち消費者でしかないわたしはバカですから、政治も資本も本当に正しい部分、奥まった部分までは理解できませんし掴み切れません。
 なもので、そろそろ「ハッキリとわかる形での新機軸」が、わたしのような賢くない消費者を訴求するために必要になってきているのかなー……と思います。
 『サマーウォーズ』のチケット取ろうとしたら、初日は「映画の日」だったの忘れてた!(><)
 しかも夏休み期間中!
 とーれーるーわーけーがーなーいー(T▽T)。
 でーおーくーれーたー(笑)。

 キャンセルや空き分を狙って、買い物がてら張り込むかなぁ……。
 最悪、地元近くのシネコンでレイトがあって、そちらは当然ながら十分に余裕ありそうなのでそっちで見るかも……と思いつつ、初日に見ることがそれほど重要ってわけでもなぁ……と悩み(笑)。
 こうなってくると映画の日だから千円!って値段が羨ましくなっているだけかもー(^_^;)。



 昨晩のBS2でのガンダム特集は『劇場版Z』の第2部第3部でした。
 カツのウザさは永遠だったわー(-_-;)。

 ここでもまた「なぜカツはGディフェンサーという新鋭機へ搭乗し続けられたのか?」って疑問が。
 そんなに人手不足だったんか、エゥーゴ(実際そうだったらしいって考察も見ますけど)。

 サラの声は、どうしても最後まで違和感が。
 続けて聞いていると第2部より第3部のほうがたしかに耳慣れしたのですが、それでもなんちうか、こう、軽く狂気をはらんだような殉教者っぷりが足りないカンジ。
 もったいない、もったいない。

 サラの不幸は、カツみたいな男に関わったことか……。
 そこはカミーユが救ってあげれば良かったのかもしれないけれど、その頃のカミーユって女性関係に散々引っ張り回されていたのでサラを気遣う余裕は無かったよねぇ……って。

 ヒーローの救いの手から漏れてしまったヒロインは、不幸の淵へ沈むしかないという物語の掟でしょうか。


 にしてもハマーンさまカラーのホワイト×ピンクのガザCはかっこかわいかったー(´Д`)。
 ハマーンさまらしからぬキュートさがあります。
 もちろんキュベレイが最高なのは言うまでもありませんけれども!!!

 ハマーンさまはさぁ、「不器用なお母さん」になる率ナンバーワンではなかろうか、と。
 『ふおんコネクト!』のノキア母さんみたいな(^_^;)。
 がんばるんだけれど、知識先行で感情がそこにあることをうまく伝えられないっちう。
 そんなハマーンさまが、わたしは好きです!(笑)

 ……ちうか、フォウもそんなイメージあるなぁ。
 そういうキャラが好きなのか、わたしは(´Д`)。


 さあ、今晩は『劇場版Z』によって正史から省かれてしまった『ZZ』傑作選ですよ!
 ヤザンの落ち武者っぷりとか、ジュドーのシスコン&ロリコンぶりとか、わたしとしては『コードギアス』のジェレミアへのルーツとなっているマシュマーの壊れっぷりとかが見どころです(笑)。




 定年退職をはじめとする「第一の人生」に幕を下ろした「おっさん」たちが、「第二の人生」で手にした余暇の時間を身近な社会を守るために活かしていこうと自警団を結成して活躍するお話。
 ハッキリ言っちゃえば、本気モードの年寄りの冷や水(笑)。

 いやー、これはドキドキしたわー。
 そもそも「定年退職したオジサンたちが自警団を作って活躍する話」ってプロットが通って、それが面白い物語を展開させるなんて思いも寄らないですよ!
 たしかに有川センセには実績があるので期待するトコロはあったでしょうけれど、このプロットで通しちゃう編集部も編集部です。

 「おっさん」は人生が終わった姿ではない――って伝えてくる有川センセも大概ですけれど、編集部の先見の明にも脱帽(^_^;)。


 恐喝や痴漢、詐欺商法といった身近な問題を解決していく自警団。
 広い世界を守るのではなく、ご町内の平和を守ることしかできないと彼らもわかっています。
 その範囲で物語はもちろん進められていくのですけれど、しかしそれでも問題がひとつクリアされるごとに倖せになる人がいるってあたりがステキ。
 問題の大小は他人から見てどうこう言えるものではなく、抱えた当人にとっては世界が終わってしまうくらいに大問題なんですよね。


 で、そうした問題を颯爽と解決していく自警団が六十過ぎのオッサンってところがキモなのかなーって。
 これが血気盛んな十代の少年少女だったりすると、その無敵っぷりが鼻につくかもしれないので。
 そして結果だけを見て増長するかもしれませんしー。
 いい年したオッサンたちは、そうした部分を抑えるだけの人生を歩んできたのだと説得力を発揮しているのですよね~。

 うん、もちろん、そうした人生の機微を学んでこなかったご老体も世間にはいるってことはわかってますけど。
 そこは有川センセらしい善性に包まれているっちうか、物語アプローチなんだって理解します(^_^;)。



 そんなオッサンたちの活躍と平行して描かれる高校生の可愛らしい恋物語っぷりもサイコーです。
 ちうか、この要素が存在しているってだけで、ああ有川センセの作品だわってわかるっちう(笑)。

 祖父と父が「三匹のオッサン」という知己の仲である故に、知り合ってからも微妙な距離を保たざるをえないワケですけれど、そうした軽い障害は恋のスパイスにしかならないですよね~(≧▽≦)。
 そうでなくても二人とも「よい子」なんですし、みんなの顔をつぶしてまで盛り上がるようなことはしないワケで~。


 「三匹のおっさん」たちはさすがにもう六十歳を超えてくる年齢なので人間としての成長は大きくは望めないとわかります。
 今作での活躍は、オッサンたちがそれまでの人生で培ってきた技術や経験でもって立ち回っているだけに過ぎないワケで。
 例えるなら、クエストをクリアしてもオッサンたちに経験値は入っていない……と思うのです。

 で、も!

 オッサンたちに使われた孫や子、そしてご町内の皆様がたにおかれましては、クリア経験値がちゃんと入ってレベルアップしていっているのがわかります。
 清一さんの孫の祐希の成長っぷりったらハンパ無いわ(^-^)。

 良い先達が身近にいれば、そしてそれを受け入れる度量があれば、若い人の伸びしろはこれほどに鮮やかなものだと示してくれてます。
 高齢化社会へ向かう日本において、こうした表現や描写はとても大切なことだと思うのです。



 いまの社会が抱える問題を、いろいろと考えるトコロがありました。
 んでも、それ以上に爽快さと痛快さを楽しめた、極上のエンターテインメントでした!(≧▽≦)
 今週はBS2でガンダム特集しています。

 『0083』って初めてきちんと見たのですけれど(放送されたのは「ジオンの残光」でしたが)、ガトーがガンダムに乗り続けることを許されている理由が納得いかない……。
 無謀な出撃を繰り返して幾度と無く1号機を大破させているのに……。
 ほかに技術も経験も上な人がいるのに、どうして彼が乗り続けていたのかなー。
 そんな戦果なのに自分が搭乗することを当然としているガトーの態度も納得いかないっちう。

 ニナとのメロドラマ的な展開もわたしには鼻についたかなー。
 ちょっと仰々しいっちうか(^_^;)。


 『0083』に続いては『Z劇場版』第一部が放送されてー。
 こちらは以前イラチしたカミーユの言動が、意外と見ていられて驚き。
 むしろ可愛らしさすらおぼえたわ!(笑)
 うーん、年取ったってことなのかなー。
 でも時折幼児性はみられても、周囲への気遣いのような謙虚さがあるところがガトーとの差だったような……。


 放送の合間にネタ企画としてガンダム世界を「現実」として受け止めた『クローズアップ現代』とか、芸人の土田晃之さんが司会しているトーク番組とかあるのですけれど。
 そのトークでガンダム小説について触れられた際、土田さんがお気に入りとして手にした作品が『フォウ・ストーリー そして、戦士に…』。
 うーん、さすがというチョイスですなぁ(笑)。
 わかっちょる!(≧▽≦)
 今更ながら、ようやく『CUT』8月号を購入~。
 うーん、『ヱヴァ』関係、濃いわぁ(笑)。


 それぞれの雑誌の「色」があって仕方のない部分もあるのはわかるのですが。
 『CUT』でこれだけのことをやられてしまっているなら、こと『ヱヴァ』に関してはアニメ誌の意義はどこにあるのかと悩みます。
 提供画像が雑誌製作時点で少ないのは今や明らかなので、では紙面をどう構成するかと考えたとき、当然、文字で埋めることが選ばれるわけですけれど。
 その文字を使った「記事」の内容がスッカスカであるのは、もう本末転倒っちうか仕事をしてないなー……って。


 いや、しかし。
 そこまで考えたところで、当初に頭に浮かんだ「雑誌の色」についてあらためて。
 『CUT』は鶴巻監督や貞本さん、真綾さんほか主要CV陣のインタビューを形として、『破』という作品を掘り下げる方向であるのに対して、たとえば『Newtype』などは観劇したファンのコメントやいちライターの感想などで構成して作品げの言及が薄いのですよね。
 それって、見た人との共感性を主題に選んだ紙面構成なのかなーって。

 スッカスカなのではなくて、「情報」について相違っていうか。
 あるいは単純に想定購買層の違いかも。
 アニメ誌を購入する層は、小難しい話題を求めていない……と。

 だからといってあの記事にあるような「視聴者の感想」を求めているのかどうかはわかりませんが。


 林原さんと真綾さんへの一問一答はありましたけれど、これ、囲み取材な雰囲気でありますし、『Newtype』独自の取材って雰囲気ではないのですよね……。


 そんな考えに至ったので、内容それ自体については納得したのですけれどー。
 んでも、では別の側面――やはり画像の乏しさが、ねぇ?
 『CUT』では表紙のマヤの描き下ろしを含めて、ほかにも大きくバーンと見開きで鶴巻さんや本田さんなどが書かれたイラストを持ってきているんですよね~。
 この画像、どこかで使用済みなのかしら?
 だとしたらこの指摘も見当違いなのですがー……。

 描き下ろしの材料ひとつも頼めなかったのって、製作時間の関係なのかなぁ。
 だとすると来月の紙面が楽しみなところでありますけれど。


 あ、『CUT』に使われていたイラストのなかでは、ヒロイン3人を描いた平松禎史さんのそれがイタリア映画っぽい雰囲気で好きー。


 アニメ誌がわかりやすさと共感性を優先して、情報性や考察について避けるようなら。
 わたしにとっての価値はずいぶんと低くなったなー……と実感。
 F1 ハンガリーGP決勝
 予選で怪我を負ったフェラーリのマッサ選手がはたして欠場ということに。
 よくまぁ無事で……。
 目の周辺に衝撃を受けたそうですが、ヘルメットとコクピット周りの設計進化が救ったのかと思うといろいろと考えることがありますねぇ。

 で、こういう事故が起きると当然その対策に動かないといけないのですけれど、その行動に対してブラウンGPのロス・ブラウン氏は「条件反射的な行動に出ないよう警告」しているそうで。
 うん、この意識は大切だと思うー。
 事件事故が起こったとき短絡的に、やれ禁止だ、やれ安全強化だと、すぐに打てる手だけを打って安心感を求める輩がおりますけれど、再発防止のためには目先だけの対応ではダメだと。

 バタフライナイフが殺傷事件を起こしたから、バタフライナイフを所持禁止?
 それで?
 それがまったく意味の無いことだとは言えないのですが、しかし言えないことを盾にして押し切り事件を片付けようとする手法は間違っているし、危ういモノです。

 閑話休題。

 そんな事故があった影響ではないでしょうけれど、決勝も荒れた……っちうか、バタバタした展開でしたねぇ。
 ピット作業ミスで脱輪を起こしたルノーのアロンソ選手を筆頭に、どうもピットが落ち着いていなかった感じ。
 そのルノーは次戦ヨーロッパGPを出場停止という処分に!
 脱輪しただけ……って言ってしまうと重い処分のように思ってしまったのですけれど、あれがトラフィックの中で起こっていたら、前日のマッサ選手の事故を再現してしまう可能性が高かったと考えると妥当な処分なのかなーって。
 作業するクルーへ、危険と隣り合わせの作業であることを自覚させるためにも。


 原因はロリポップマンの確認不足ってあたりらしいのですけれど、ほかにもピットリリース時にライコネン選手とウェーバー選手があわや衝突!ってシーンもありましたしねぇ……。


 レース自体はマクラーレンのハミルトン選手が今季初優勝。
 シリーズリーダーのバトン選手は7位入賞に留まりましたが、追うベッテル選手はリタイヤと、その差を縮められなかったという。
 ちうか、ウェーバー選手が3位に入ったことでベッテル選手を逆転してランキングでも2位浮上ですよ。
 バトン選手の連続入賞は途切れなかったとはいえ、差は18.5ポイントまで縮まってきました。
 ここ3戦は3・4・2ポイントとギリギリの結果しか残していないだけに、今後が不安ですねー。
 しかし追うレッドブルも安定した強さを発揮できているワケではないので、終盤までもつれる可能性が高いかなー。

 ブラウンGPの不調がこのまま続いてレッドブルが勝ち続ければ、あと3~4戦くらいで追いつく?
 で、逆転するにしろ決定するのは最終戦あたり??
 でもバトン選手は既に5勝しているので、現状でもある程度の優位性を保っているのは確か。
 さてさて、どうなるどうなる~(^_^)。




 な、なんというスケールの大きさ……。
 そしてその広大な世界を息をもつかせぬ疾走感で駆け抜けて、茫漠たる地をまったく意に介していないという……。
 これは快作でありましたなー。


 人と違う能力を持ったオンナノコを救うため、これまた人には無い能力を授けられたオンナノコが無限の世界を渡り歩くガール・ミーツ・ガール。

 「その子には、他人が全て『ロボット』に見える」
 ――って観点が、もう、脱帽。
 いや、そういう着想自体は素人含めて少なくない人が思い抱けるトコロなのかも。
 んでも、その着想をきちんと観念としてまとめあげて世界を作り、そこから始まってそして終わる物語を作れるトコロがお見事。

 設定と物語、どちらかが優先されるようではいけない。
 それは作品において両輪であり、連理の枝であるべきなのだと。


 でもって、物語の展開がまた気持ちいい!
 先述した設定依存で事件がまず起こり、その解決のためにまた今後は物語特有の設定を活かして、活かして、活かし続けていって、全てを諦めて覚悟を決めた先にようやく答えを見つけるのだけれど、しかし結局はそれすらも否定され。
 ようやくつかんだ光明と、それを失わせる闇。
 このバンプクッションはなー、もー(T▽T)。


 事態が底の深さを覗かせはじめていく中盤から、答えを求めてひたすら駆け抜けていくクライマックスまでの筆致が本当にエキサイティング!
 次々と提示される情報。
 そこから得られる希望と、それを打ち消す絶望と。
 明滅を繰り返しながらも前へと進んでいる感覚が堪りません!
 それはまさに「毬井ゆかり」を助けるために前進し続ける「波濤マナブ」の気持ちに他ならなかったと思うのです。


 そんな「さあ、どうなる!」って展開に、「これ……SFだから、事実をまとめあげて終わりってパターンもあるよなぁ……」とくじけそうにもなりましたよ、わたし!
 しかし!
 これがSFだからこそ、SFならではの答えがあるのです。
 その答えを、シンプルな答えを最後にきちんと用意しておいてくれたうえおセンセに最高の賛辞を。
 見事でした。
 ブラーヴォ。



 成し遂げたい目的のため、自ら負う傷を厭わず駆けていく主人公。
 そんな主人公を大切に想い、その姿を嬉しく思うパートナー。

 SFでありガール・ミーツ・ガールであるのだけれど、物語の王道を往くそれはまさしく青春小説でした。
 着想、そしてそれを表現する筆致。
 「短編作家」としての うえおセンセの力量はもはや疑うところではないですね。
 ふいー。
 24日はbambooさんのバースデーリサイタルへ行ってきて90年代ロックに飛び回ってきて、そのあと友人とお酒飲んできたらもうさすがにグダグダ。
 この週末は家でゆっくりして、ようやくダメージが抜けきったわ~。


 リサイタルのほうは、もー、面白かったわー、としか(´Д`)。
 普段のmilktubのライブに慣れてる(望んでいる)人や若い世代には80%くらいの満足感であったかもしれない不安がありますけれど、bambooさんと同年代とその前後あたりの世代にはド真ん中ストライクなセトリだったのではないかと。

 ZIGGY!
 JUN SKY WALKER(S) !
 THE BLUE HEARTS!
 ジッタリンジン!
 リンドバーグ!
 175R!

 やーっ、もうねもうね!(≧ω≦)
 カバー曲中心になると聞いていてどうなるものかと不安でもあったのですけれど、まさに杞憂。
 なんちうか、音楽を聴いて年取った「おまえたち(わたしたち!)」へ贈ってくれたかのようで。
 もちろんそれ以上にbambooさんが自分自身のルーツを歌い上げたのだとカンジたのですが!

 あ、ジッタリンジンは民安ともえさんが「夏祭り」を、リンドバーグはUR@Nさんが「Believe in Love」をカバーしてくれました。
 こっ、れっ、がっ、またーっ!!!(≧▽≦ノシ
 「Believe in Love」はサビのコーラス、おぼえてたよ、自分!(笑)
 だけど、Don't Stop!

 ゲストはそのお二人にくわえて、あとyozuca*がいらして「祝福の歌」を。
 もー、みなさん手を抜かないわー(´Д`)。


 ゲストと言えば、やっぱり!という雰囲気でニューロティカのカタルさんがいらっしゃってて!
 エロゲー会社社長が自分で企画したリサイタルとは思えない豪華さですよ、これ!
 そんな本家本元、ご本人も参加して歌う「ロックンロールエロゲー」(笑)。
 ありがとおー、ありがとおー♪(≧▽≦)

 昨年末のd2bライブにいらっしゃったあっちゃんはいらっしゃらなかったのですけれど(ロティカ、いまはお休み期間なのだそうで。なのにそこに引っ張り出されたカタルさん(笑))、あっちゃんからは花が贈られてきてました。

0726.jpg

 あー、そうそう。
 bambooさん、41歳になったんだよねー、おめでとー……って、違うわ!
 5歳も上乗せしてご自身と近づけようとするなんて、あっちゃん、やるなぁ(笑)。
 てか、あっちゃんの年齢もアレですけれど、カタルさんのお歳が43ってのも大概だったわ。
 な、なんてお若い人たちなの……。

 ちなみにLantisさんから贈られていた花には、きちんと年齢が間違わずに記されていましたとさー。


 でもって、今回のリサイタルを語るには、やはり前説とオープニングアクトに触れなきゃいかんのかなぁ……って気が。
 前説の前説はbambooさんご自身が出ていらして、これから続く前説とバンドの説明をされたのですがー。
 「最近話題になってるひらがな4文字で最後に『!』が付くアニメの声優さんを、オレのポケットマネーで呼んできました!」
 って発言に沸く場内。
 しかし現れたのは、『けいおん!』EDの澪の衣装に身を包んだOVERDRIVEに今年「バカ枠」で入社したと噂される「世界のO-muro」さんでした――っっっ!!!

 ……わかってた、わかってたよ、この展開はーっ!(T▽T)
 また衣装がさぁ、えらく凝ってて情けないやら感心するやら(笑)。
 バカを本気でやれる大人はスゲェと思いました。

 で、まあ、この展開でいくとオープニングアクトはわかろうもので。
 そんなO-muroや、原画の藤丸さんや社内ナンバー2のN崎さんとかで組んだ、『けいおん!』コピーバンド「放課後自慰時間」が歌う「ふわふわ時間」!!!
 もー、なにからなにまでこの人たちは……(笑)。
 公式サイトでのスタッフ日記で「新作発売のときは前座で」と書かれてましたけれど、以外と早くそのお披露目になりましたね~。


 ゲストのみなさんからbambooさんへ贈られたバースデーケーキ。
 しかし酸欠状態のステージではロウソクに火が灯らないという!!!
 ホント、マジで、どんだけ……(´Д`)。
 カバー曲中心のリサイタルでしたけれど、ECはやっぱり定番の「Happy Go!!」。
 激しく、熱い、夏の夜でした。


 でもって終演後は出口でTENGA EGGが配られて……。
 うわぁ……(´Д`)。
 どうしよう、これ……。


 新作のこととか、ipod版『キラ☆キラ』のこととか、milktubやUR@Nさんの新譜のこととか、いくつか今後のことについても話されてまして期待がふくらみます。
 Happy Birthday bambooさん。
 いつまでもロックバカでいてください(笑)。




 あ……甘酸っぱぁぁぁぁぁ――っ!!!
 でもって、ほろ苦ぁぁぁぁぁ――っ!!!
 うひーっ!(≧△≦)

 予定日に事情がある者同士で行われる予備校の前日模試。
 集まった4人が模試を受けているなか、突然の停電。
 どうすることもできない時間を過ごすために、ひとりが提案。
 「恋の話を、しようか」
 ただ予備校で顔を合わせる程度の間柄でしかなかった4人の距離が、このときから縮まり、複雑な関係を描いていくお話。


 うひゃぁ……。
 「大学受験を迎える頃の高校生」って世代の等身大な姿がチクチクするわー。
 世間を知らないほど子どもではないけれど、かといって世間のなにを知っているといえるほど大人でもない頃。
 身体と心ばかりが大人になりかけていても、所詮は大人に護られている身分。
 息苦しいんだけれど、護られていることで許されている自由さがあるっちう。


 4人、それぞれに望みがあって、そしてその望みを危うくする悩みがあって。
 各人の悩みなんて、あと数年、大人になってしまえばなんてことない悩みになってしまうのだけれど、いまこの瞬間では世界の全てを決めてしまうような重要な悩みなんですよねー。

 悩みなんてものは、それが及ぼす影響力の大小が問題になるのではなくて、当人がその悩みをどれだけ真剣に思うか否かが問題になるのだなーと思います。


 で、そんな悩みと望みに揺れ動きながら、「停電仲間」であるお互いが互いのことを気に掛けるようになっていってー。
 ひとりで抱えるには重かった悩みを、べつの誰かが支えてくれたことで軽くなってー。
 「ただの顔見知り」が「大切な仲間」になっていく流れって、ああこの世代なら本当にあるなーって感じられます。


 そんな「仲間」としては最高な人たちなんだけれど、「恋心」が入ってくると難しくなるのですよねー。
 しかしその気持ちが向かう先が見事にスクウェアを描いているものですから、もうどうしようもないわ(T▽T)。
 どこかに気持ちがぶつかりあうような混線箇所があればいいのに、綺麗に四角関係を描いちゃっているんだもん。

 恋心としては、せつないしもどかしい。
 んでも、大切な関係としては、その四角関係が極めて安定的に見えちゃって……。
 読み手としても綺麗に落ち着いてしまっているその関係を、あえて崩すことはできないかも……とか思ってしまったわ!(><)
 どうしてこの子たちは……。



 雪国っぽいどこかの地方都市って舞台背景がまた良いわ!
 大学受験という転機を迎えるに当たって地元を出るのか残るのか、そして将来は戻ってくるのか戻らないのか。
 年頃の青少年たちには、もうそれだけで物語になってるっつー。
 でもって、そんな心情やら雰囲気やらを哀切・哀愁とともに描いてるなーって。



 残念なのはエピローグ。
 ひととおり四人のエピソードが終わったところで、トンと時間を進めて少しだけ大人になった四人が集うところへ移るのですよねー。
 時間が経っても集う四人の姿には嬉しくもあるのですけれど、その中にはエピソードのなかで悩みを消化し切れていないメンツもいるってあたりが……。

 悩みは必ずしもその時代に解決されていくものではなく、そして悩みを抱えたまま少年少女は大人になっていく……ってことなのかもしれませんけれどー。
 しかし現実はどうあれ、物語としては作品のなかで「答え」を見せておいて欲しかったと思います。




 市川くん、誰かと印象がかぶるなぁ……と思っていたのですが、ナコ兄でした(笑)。
 ナコ兄よりもっと人付き合い悪いですけどー。
 池田ァの飛びっぷりが想像を超えていたという『咲-Saki-』#16を録画視聴。
 いやぁ……これはホントに絶叫するわー(^_^;)。
 あまりに池田ァが……えっと、よわ……じゃなくて、不憫すぎますよ、これは。
 あんな異能力者だらけのところに放り込まれたパンピーはどうすればいいのかってハナシ。
 もう、ガクブルするしかないですよ……(T▽T)。

 麻雀は詳細に描いていなくても、こと勝負についてはその真剣さを巧みに描いてますよね~。
 心理戦もそうですし、状況を抽象化して興奮を伝える熱さとかー。
 個人戦となるべきところ、衣対その他3人って趣きに見せている描写がすごい。

 時折作画に精緻さが欠けたシーンが見受けられるようになったのですが、GONZOが下請けに落ちたという件と関係が無ければ良いのですが……。


 透華が「さすがのわたくしも衣が相手となると……云々」言ってましたがー。
 副将戦で大した活躍も見せられずに終わった人は言うことが違うなぁ(笑)。


 しかし、なんども公式サイトとか見ている自分なのですけれど、鶴賀の部長は加治木さんだと思ってましたよ……。
 まさかワハハだったとは……(笑)。


 衣の無双っぷりを見せつけられて前半戦終了。
 気持ちどん底の咲たちへ重なってくるED曲。
 「あきらめたら終わり 気持ちをリセットして~♪」
 うわぁ……(T▽T)。
 ゴルフ 全英オープン最終日。
 すごかったですねぇ~!!!
 トム・ワトソン選手が最高齢優勝記録を塗り替えるかと思いきや、最終18番ホールでボギー。
 プレーオフの末、スチュワート・シンク選手に優勝をもっていかれましたけれど、見事な闘いでした。

 全英オープンってほかのメジャーに比べると派手さが無くて地味でストイックなイメージがあるのですがー。
 いや、ま、今回のコースであるターンベリーもその印象に違わなかったのですが、しかし勝負する場所としては興味深かったです。
 狭いフェアウェー、深いバンカー、茂るラフ、硬いグリーン……。
 コース自体に厳しさがあるというのに、リンクス特有の海風、めまぐるしく変わる気候……とまぁ、よくもそれだけ厳環境をそろえたものだと呆れてしまうくらい。

 そんなコースで戦う全英オープンって、人生の縮図だなぁ……って思ってしまいましたことよ。
 フェアウェーにいると、その安らかさに気が付かないものなんです。
 ちょっと道を踏み外すと悪夢のような障害が待ち受けているのです。
 でも、そこがどれだけ脱出不能に思えても、リカバリーできる道はあるものなのです。
 さらには本っ当に無理だと思ったら、アンプレイアブルしてやり直すことも可能。
 ほかの人からちょっとだけ遅れるかもしれないけれど、そこで終わってしまうワケではないのです。

 そんな人生を見せてくれた最たる選手が、還暦を迎えようとするワトソン選手なのですよね~。
 飛ばす腕力でも、確かな技術でも、人生を貫くために必要なモノは精神力って。
 腕力と技術で勝ち上がれる日本のコースに慣れてしまうと、あそこのゴルフはまったく違うものなんだろうなぁ……。


 日本期待の石川遼選手とゴルフ界トップのT・ウッズ選手が同組で回った初日と二日目はマスコミが騒いでましたが、見どころはそのふたりが予選落ちした3日目からだったんですけどね~。
 3日目以降は日本のマスコミはてんで姿を見せなくなりましたとさー。
 テレ朝は松岡修造さんを送り込みましたが、石川選手が予選落ちして引き上げさせましたもんね。
 なにをしたかったんだか……。
 ウッズ選手に盗聴をお願いしなかっただけでもマシかなぁ……(T▽T)。

 もっとも、ウッズ選手からは邪魔に思われていたようですが!!!
 取材という範疇で考えるだけでなく、スポーツの現場にいるという緊張感をもってマナーを考えて欲しいものです。
 いや、取材という範疇ですら考えていないとうがってしまうトコロではありますがー。

 この同組、TVサイドからの要請で組ませたそうですね。
 ふんとに、もー……。

 そんなマスメディアは別にして、石川選手の活躍自体はそう悪いモノではなかったように思います。
 二日目のバックナインで大きく崩れたのは、急変?してきた天候への対応が出来なかったせいかなーと。
 体力的に足りていないっちうか。
 残念な結果ではありましたが、そういう見方をしただけに、あと何年かして大人になった石川選手が楽しみになったことも事実です。
 そのころには好奇だけで追いかけ回すマスメディアも消えているでしょうし~(`Д´)。


 連休最終日、出かけるつもりでしたのですけれどプレーオフまで見ていたら朝の4時過ぎになっちゃって、寝て起きてみたら思い切り寝過ごしていたという(笑)。
 もー、いろいろやる気失せたわー。
 でもステキなプレーを見ることができたので悔いは無し!
 無し……無しだよ、うん(T▽T)。




 うあ……。
 序盤からこれほど「壊れている」臭を漂わせているとは……。

 事故に遭い、家族みんなが死んだ中でひとりだけ生き残った主人公 直之。
 周囲は事故から奇跡的に生還した彼との距離をつかみかね、彼自身は失ったものの大きさに慣れない日々を。
 なにより死んだはずの家族の姿が「彼だけには」これまでと同じように見えてしまうということが、現実と妄想の境界をあやふやにしているという……。


 現実と夢想の境界については胡蝶の夢のそれと同じようになぞっていくので新鮮味がある仕掛けではないのですけれど、そのたたみかけ方が精神の崩壊の勢いを表しているかのようで恐怖を感じたり。


 PSYCHEってギリシャ語の「蝶」とか「魂」の意味ですけれど、そこに加えてギリシャ神話のプシュケを思い浮かべますねぇ。
 愛を求め、愛を疑う、エロスの恋人。

 神話のプシュケは女性なので藍子をイメージしてしまうのですけれど、誰からも求婚されなくなって悲しみ、ようやく得た夫とは闇夜の中でしか会えないことを寂しく思う境遇を思うと、むしろ直之なのかなーって。



 結局、どちらが現実であるかってことは問題ではなくて、そのどこにも救いが無いどころか自らその手を断ち切ったという事実が重要なのかも。
 倖せがなにかわからない……という曖昧さではなく、そもそもその倖せを望んでいないという。

 辿り着く先が「拒絶」であるというのは、観念方向で文学的だなーって。
 エンターテインメントではないのですけれど、これはこれで感じるところはあるような。
 「息苦しい」とか「閉塞感」とか、そういう言葉は「生きる」ことを望む人が使うべき言葉だと思うのですよね。
 しかし直之からはそれを感じられない。

 とはいえそんな直之が特別な存在だとも思えなくて、実際に「生きる」ことを感じ考えながら日々を送っている人はそう多くないのではないかなー。
 だからこそ、今作はわたしたちのすぐ近くにある物語であって、かつ、この壊れていく様はできるだけ遠ざけておきたい存在なのかも。

 そういう意味で、極めて危ない作品ではありました。
 緩慢な死を願うっちうか。
 昨日はkotokoさんのライブツアー初日、横浜公演へ行ってきたー。

 とはいえアルバム発売とかないこの時期なので、予習とかまったくしていかなかったワケなのですがー。
 どうなることかと思いきや、いや、しかし、存外に楽しかったデス。

 相変わらずセトリなんて覚えているわたしではありませんし、まだツアー始まったばかりなので曲名とか並べ上げるのはマナー違反なので申し上げませんけれど。
 新旧織り交ぜてのセトリになっているので、復習はまだしも予習は無意味であったとだけは言っておきます!(笑)
 ふつーにkotokoさんファンだったら、今回のツアーは自然体で楽しめるんじゃないかなー。

 んで、思ったのですけれど。
 新旧織り交ぜて……とは言いましたけれど、もちろん売りは「新」のほうなので全体としてはそちらからそろえていったカンジ。
 新に合わせた旧……ってセトリになって感じたのは、kotokoさん、楽曲の雰囲気、変わった?ってことでした。
 ダンスビートやハウス系が控えめになって、メロディーラインをしっかりとそろえるような曲になったように感じました。

 なので以前と比べて「ものすごく」盛り上げるっちうかカマスようなアグレッシブさは潜んだのですけれど、聞かせる曲といいますか一体感あふれる曲が増えたカンジがします。
 キュンキュン系を期待していくと肩透かし間違いない今回のツアーですけれど、いまや代名詞ともなっていたその通り名や殻から打ち破っていくためのツアーであるのかなー……って印象でした。
 そんな風に感じたわたしは、今回の内容をこれまでと比較してパワーダウンだったとは思いませんし、「これからのkotoko」さんを模索するターニングポイントになるかもしれない大切なツアーになる予感がしています。

 ツアータイトルは「WARP」。
 デビューから5周年を迎え、過去の自分を超えていく姿勢がうかがえます。
 アルバムについては製作には入っているのだけれど発売に関してはまだ未定だとのことでしたが。
 これは次のアルバムが楽しみになってきましたヨー!


 MCがグダグダなのは相変わらずでしたが。
 冒頭、いきなり「沖縄のみんなー」って呼びかけたときはもう笑うしかなかったわ(笑)。
 いきなりツアー最終公演の沖縄ですか!!!

 これに始まり、途中途中のMCでもトンチンカンというか主旨のぼんやりしたトークが続くのですが。
 しかしそうしたグダグダっぷりにもあわてることなく、プログラム通りに進行する様は立派。
 成長しましたねぇ(T▽T)。


 今回のツアーからベースとドラムというリズム隊のおふたりが変わってました。
 残ったメンバーが星野さんとふるふるのお二人なので、メンバー同士がステージ上で絡むようなシーンが減ったカンジ。
 新規メンバーのおふたりはまだバンド内での立ち位置を掴みかねていたようでしたけれど、これから全国27公演も付き合っていけば、きっと楽しいキャラができあがっていくことでしょう。
 東京公演とか楽しみだわ(笑)。

 音については全体のバランスがいいな~って感じました。
 といっても、曲によっては出るトコ出るという察しの良さまでを含んでのバランスの良さなので、決して遠慮しているカンジではなかったです。
 ちょっとドラムのスネアが張っていたかな~って気がしましたけれど、もしかして個性かもしれないので、これはこれで良いかな??
 キレ良く聞こえて、わりと気持ちよかったデス(笑)。

 むしろギターの星野さんは、もっと前に出てきてもいいんじゃないかな~(^_^;)。


 時間が押すのもkotokoさんのLIVEの特徴ってわけで。
 物販も、開演も、どちらも15分押しでのスタートでした。
 特徴……なんですけれど、ここのスタッフはノウハウを蓄積するような学習意欲があるのか疑ってしまうわ。
 こと物販に関しては商品の陳列などに要する時間などは概算で見えてくるでしょうに、どうして「開始時刻」に合わせて行動するのか不思議。
 事前に並べるだけ並べて、開始時刻を待つだけにすればいいと思う……。

 列の消化に関してもスタッフの誘導が無いので押し合いへし合いだわ、購入後の退場口への動線にガチャガチャの待機列を作るものだから人が滞留してしまうわ……。
 こんな混雑っぷりを体感して、また「ああ、kotokoさんのLIVEだなぁ」なんていつもいつも感じるのは悲しいのですが、そうなんですよねぇ……。


 そんな物販、わたしが購入したのはラグランT(パープル)にタオル(ブラック)、そしてクッキー缶でした。
 先日開催された水樹奈々さんのLIVEではクッキーが高値で売り出されて賛否両論上がってましたけれど、こちらのクッキー缶はクッキー7枚とリストバンドが入って1,500円。
 スチール缶のしっかりしたものですし、1,500円ならむしろ「リストバンドにクッキーがおまけで付いてきた!」と考えれば別に高いものではない……っちうか、むしろ普通かクッキー分だけ安い気がします。
 ……まぁ、最大の難点は、缶の大きさが荷物になるってことなんでしょうけれど(^_^;)。


 アンコール2回が終わって、2時間30分の公演でした。
 1度目のアンコール前までが1時間半、アンコールはそれぞれ20分ちょっと、アンコールの間のインターバルはそれぞれ7分前後。
 きっちりとしたタイムスケジュール進行が気持ち悪くもありましたが、こうした仕事っぷりは嫌いではないです。



 そんな次第で、昨日楽しんだ影響で、今日は家でうだうだしていましたー。
 あしたからがんばる(笑)。
 最近、出版関係で出版を取りやめになるどころか作品の存在抹消されるとか、もう読み手サイドとしては事態をハッキリさせて欲しいことが続いているのですが。
 そのなかでの渦中の一作、スクエニから刊行予定であった『暗い部屋』の唐辺葉介センセって、『PSYCHE』の唐辺センセなんですかー。

 結局、唐辺センセと『キラ☆キラ』ライターであった瀬戸口廉也さんの同一人物論議ってどうだったんでしょ???
 積ん読状態なので、これを機に手にしてみるかー。
 でもって『犬憑きさん』も。


 面白いか面白くないか、出版してみてくれないとわからないですよねぇ。
 「規定抵触は建前で、本音は『売れてない』から切られただけ」という意見に対して思うことデス。
 もし本当にそうだとしたら「規定抵触」なんて虚偽を伝えることは問題ですし、そもそも出版を確約とした仕事でなかったのなら著者への連絡不足だと思います(唐辺センセの様子から窺うと、とりあえず出版を前提としたお仕事のように見受けられたので)。

 でもって本当に規定抵触していたのであれば、途中で進路修正できなかった担当を初めとする編集サイドはなにを仕事していたんですか?ってカンジ。
 終わったあとでどうにかなると思っていたのかなぁ……。
 プロット段階にしても進捗を確認するでも、状況を知る手段はこうなる前にあったと思うのです。

 どちらにしてもスクエニの編集サイドの仕事っぷりに信がおけなくなったなー……という心境です。
 児ポ法とか世間の風潮、潮流を読むのも結構ですけれど。

 少なくとも商品を売るつもりで仕事しているなら、もっと丁寧にお願いしますってカンジ。
 でなければ、全てが完了してからNGを出す今回のやり口は、クリエイターを使い捨てにしていると思われても当然の所行であると思うのです。




 無差別テロに遭って命を失った少年が、異世界の生き物の手を借りて「その日」に死なないようにするため人生を10歳からやりなおすお話。
 とはいえ、どうすれば人生が好転するのかハッキリとはわからないために、そこはダメもとで、再び「その日」が来ても後悔をしない生き方をしていこうと。

 やり直し人生クリアのための条件がわからないとはいえ、彼が行ったことといえばオンナノコに声かけまくりってのがまた……(^_^;)。
 いや、まあ、かつての自分に出来なかったことを、やりなおしの人生の今回では「後悔しないよう」動くだけの理由が彼女たちに対してあったので、けっして突飛な行動でもないのですけれど。
 それに好色で動いているワケで無し、共感できるような「勇気」がそこにはあるので物語のベクトルを崩してはいないのですよねー。

 まぁ、ラノベらしい流れ……ではあるのですけれど(^_^;)。



 都合3人のオンナノコが登場して、彼女たちが抱えていた――そしてかつての自分には解決できなかった問題を解決していくという。
 抱えていた問題や悩みが無くなった、あるいは軽くなった、変わっていった彼女たちの人生はもちろんのこと、そんな彼女たちと付き合っていくことで少年の人生も変わっていく流れは面白いなーと。

 いや、ま、当たり前ですよね。
 そんな小さい頃からオンナノコとの付き合いがあるだけで、オトコノコの人生なんてまったく変わっちゃいますよね(笑)。


 しかし「やりなおしの人生」の中でなにがクリア条件になっているのかはわからないままに時は過ぎていって。
 再び「その日」を迎えてもクリア条件を見つけられずに、迫りくる「死」の恐怖に耐えられなくなっていくワケですがー。
 そんな状況にあってもココロが恐怖で全て支配されているわけでなくて、大切なモノを見失わないでいられた少年の心意気が好感。

 でもってこのあたりのクライマックスの展開が二転三転していって、まぁ!(笑)
 読み手の意識を巧みにリードしていっておきながら、かつここでその「(導かれた)予想」を超えて展開させる力量はお見事。
 先へ先へと読み手を止まらせないスピード感は、まさにクライマックスに相応しいものでした。

 3人もヒロイン格のオンナノコを登場させてどう収拾つけるのかと不安でもあったのですけれど、そこにきちんと答えを出しているところが清廉だな~と。
 彼女たちとの距離や関係をうやむやにせず、それでいて彼女たちが3人いたということに対しての理由付けも正しく用意していたあたりが天晴れっちうか。

 展開、そしてキャラ配置の妙など、計画性の高い作品だな~と感じました。


 ただ、思うに、「クライマックス」や「オンナノコとのエピソード1」というような部分部分での描写や展開にはしっかりとした安定感を感じたのですけれども。
 そうした各エピソードをつないで全体としての流れを見たときは、ちょーっと強引で大味なところがあったかな~……と思ったりして。
 もちろんそうした繋ぎ方での瑕疵を補えるぐらいに、個々シーンでの描写が巧みであったので全体として崩れることは無かったのではないかなーと思います。

 今作がデビュー作ってことで、次作以降では全体の流れも改善されることを期待かな~。


 んでも、やぱし作品として高い好感度を得られたのは間違いないです。
 オンナノコのためにがんばるオトコノコと、オトコノコを信じているオンナノコ。
 可愛らしくてステキな物語でした。
 MLBオールスター 見ました。
 国歌斉唱はシェリル・クロウさんでしたかー。
 やっぱり良い声だな~……と思わされたのですけれど、歌い方にはあまり個性的にはしてこなかったかなーって印象が。
 こう、「溜め」な部分を作らなかったなーって。

 でもってフライオーバーはB2爆撃機が!
 これはこれで迫力ありましたけれど、議会でやいのやいの言われているんですしF22で歓迎したらどうかなー……とか思ったりして。
 せっかく大統領がいらっしゃっているんですし~(笑)。


 試合内容は打って投げて走って守ってで、派手さは無かったように思うのですけれどベースボールらしい魅力があったゲームだったのではないでしょうか。
 オールスターという晴れ舞台に相応しいスペシャルななにかを見せてくれたとは言い難いですが。
 フェンスオーバーの打球をもぎとったレイズのクロフォード選手がMVPというのも、なんとなく地味目なカンジというか……。
 美技で魅せた!といえばそうなのですけれど、いやー、でもなぁ(^_^;)。
 接戦でしたし、あの打球がスタンドインしていたら展開が変わっていた……とは思いますけどねー。
 一昨日は友人が『ヱヴァ:破』見に行くっていうんで三回目を。
 いやー、やっぱりアスカ好き好きすー(≧▽≦)。
 思わず「わかってるっつーのっ!」って叫びながら跳び膝蹴りくらわしたいですよね!

 「そっか……わたし、笑えるのね」
 のシーンでは、そこで止めるコンテだったらTV版第6話のレイくらいまでに印象的に出来たようにも思わないでもないのですけれど、シーンがシーンだけに止めることは出来なくて……。
 もったいないなぁ……(シンパの欲目)。

 「破」ではアスカが関わるシーンで虹がかかる箇所が2カ所あるのですが。
 そこにはなにか意味が?
 同じ虹といっても、そのアーチがかかる位置が異なっているので、意味があるとすればそこもなにかあるのかなー。
 単に、そういう状況だったから、見栄え良いから……って理由かもしれない、ちうかその可能性が高いでしょ!(笑)


 もちろんレイにはレイの「破」ならではの魅力がありまして。
 「逃げて、弐号機の人」
 で、ぶわわわっとクルんですよー(T△T)。
 旧作での神秘性が薄れたかわりに、一般的な可愛らしさ(わかりやすさ)が新作のレイの魅力ですか。

 ネットが発達した現代では、神秘性っちうのもそこに描かれたらもう薄れていくだけなのかなーと。
 だからそれだけで「隠された魅力」を表現するのは無理であるのかもしれません。
 隠すことが無理なので。




 あ……あああ、そうなんですか、この表紙は!!!!
 でもってオビの――
9年前のあの日、“神様”の前で誓った友情は、今――。

 ――というアオリも、ええええっ、な、なるほどーっ!!!!


 お伽話のような伝承が残る街で、同じ日に生まれ共に育った5人のオトコノコとオンナノコ。
 永遠に続くかと思った関係は、しかし大人になることと引き替えに壊れていって。
 移ろい、変わりゆく5人の関係。
 報われない片想いが交錯するペンタゴンが見つめた、小さな恋と優しい奇蹟のお話。


 想いの方向が綺麗に一方方向で、その想いが実ることはないのだろうなぁ……とハッキリわかってしまうだけに切ないわー。
 「5人でいる」という関係が居心地良くて、それを無くしてでも通したい想いだというのに、5人の関係が明確なだけにその結果まで見えてしまうという。

 これが普通の「友達」関係なら可能性もあったと思えるのですよ。
 でも彼ら彼女らは違うってトコロをそこまでに物語で構築しているので、その思いが許されないこともわかってしまうのですよね……。

 片想いをつづる物語は少なくないですけれど、その問題を解きにかかるまえに人間関係をきちんと定義している作品ってそう多くはないと思うのです。
 想いが成就するかどうかは物語の鍵ではなく、その先をどう生きるのかに焦点があるっちうか。
 その時間へ踏み込んだことが、今作を素晴らしいものにしているのではないかなー……と思います。


 だからこそわたしは、事件が全て片づいたあと、終幕へむかって静かに紡がれていく流れが大好きなのです。
 そこではもう全てが終わってしまっていて、主人公たちは行動することもなくなるのですけれど。
 奇蹟はそれ以前に尽くされて、泣いても叫んでも、現実は変えられない。
 フィクションであるから、もしかしたら変えられる「未来」はあったのかもしれないけれど、この瞬間においてそれはあり得ないだろうな……って感じられるのですよね。
 5人の関係を物語が動き出すまでにきちっと定義づけていたように、奇蹟というものもそこで打ち止めだと定義づけているとわかるのです。

 こうしたディファインぶりっちうか、物語導入以前の構築ぶりってところですでに勝負あったカンジです。
 物語の形式にはいろいろあるとは思いますけれど、物語が進むにつれて設定の中身が披露し効力が発揮されていく形式にくらべると、今作は物語導入時点で設定の中身や効力が発揮され披露されているのですよね。
 それに気付いたときはすでに手遅れであるという……。
 そのどうにもならない無力感が、また終盤で重くのしかかる次第……。



 がしかし。
 そうした重さを背負う反面、エピローグでの幕の引き方が鮮やかで。
 嫌味でも、誤魔化しでもなく、かつての事件を人生として受け入れている姿がとても爽やかで好感なのですよー。
 辛くないワケじゃないんです、きっと。
 でも、その傷に負けたりしていないのですよね。
 強い、成長した彼らがそこにいるのです。


 決して楽しいお話ではないのですが、だからといって悲しさだけが残るお話でもありません。
 人生における大切なことを描いている、そんな作品です。




 前巻ラストで綺麗にまとまっていたので、続くこの巻ではどう話が広がるのかな~……と思って読んでみたら、広がりはしなかったという。
 「な……何を言ってるのかわからねーと思うが」な心境でしたよ、最初は。

 つまり――。
 1巻ではいろいろあって都大会決勝で因縁の相手を破り、エピローグで簡単に部員全員の将来を見せてくれたのですがー。
 2巻ではその都大会決勝からスタートしているのですよ。

 因縁の相手を破って出場を果たした全国大会……というのはたしかに面白く描けるものだとは思うのですけれど。
 しかし彼らの将来まで示してありながらその間に差し挟むようなやり方って有りなのかなぁ……と疑問に思ってしまったのですよー。

 『1』とタイトルに銘打たれていたのだから『2』のことが念頭にあったであろうことは想像に難くありません。
 で、『2』をこのような形で進めるのであれば、あのエピローグ的な演出は不要だったなー、と思います。


 しかも今巻で描かれるT高の活躍というのがまたパッとしないカンジで。
 初の全国大会となったウィンターカップは2回戦敗退。
 最後の夏は都大会予選4回戦敗退。
 う、うーん……。
 彼らは彼らなりに良くやっていますしその様子も描かれているのですけれど、その結果がこれでは物語的なカタルシスが無いような……。
 「世の中そんなに簡単なものじゃない」って現実的な命題を与えられているのかもしれませんけれど(加えて、それでも努力する姿は美しい……ってか)。


 更に言うとこのラストゲームとなった試合。
 主人公は情より勝負にこだわって「二年生」より「一年生」をコートに送り出すのですよね。
 しかしコート上には自分が目立つことしか関心の無い「三年生」がひとりのさばっているのです。
 これは筋が通らないと思いました。



 部分部分、ある瞬間の要素を切り出せば「良い話」を演出しているのですけれど、全体の構成から細部の心情まで、トータルで見るとずいぶんと整合性の取れない部分が多々ある気がします。
 なんちうか……切り出した個々の場面を、あとになってからつぎはぎしているような印象を。

 それは場面転換の早さにつながっていますし、多彩なシチュエーションを盛り込めることにも役立っているので、この描き方を否定するものではありませんけれど……。
 それでも、なにかを伝えるというのであれば、もっと重みをカンジさせて欲しいなぁ……と思ったのでした。
 あのね。
 べつに昨日の都議選の結果に異議を申し立てるつもりはないのですけれどね。
 ひと言ね。


 この結果が有権者の意志であるというのは民主主義として尊重しますが。
 その動機が――
 「一度くらい野党に政権取らせてみたらいいんじゃね?」
 ――だったりするのであれば、もう、考え直せと肩つかみますよ。
 「与党は足りない」という感覚が「野党なら大丈夫」ということにつながるという恐ろしさと言いましょうか。
 そこはイコールで結ばれたりはしないでしょう!!!


 多数決で争う民主主義は、ベストを選ぶのではなくベターを選ぶ政治システムだと思っています。
 そこで「取らせてみたらいいんじゃね?」という意識は、極めて危うい感覚だと言わざるを得ません。

 日本の政治風土からいって、一度進み出した流れを変えることは想像を絶するパワーが必要となることはハッキリしています。
 間違っているから正そう……なんてことが可能な風土ではないのです。
 間違いだけれどもう動き出しているから、間違いを知りつつもそのなかで修正していこう。できるだけ。できるだけ(笑)……という風土なのです。
 それを「取らせてみたらいいんじゃね?」という感覚で許してしまったら、今後10年20年そして100年というスパンで国が壊れます。


 わたしも特段にいまの与党がベストだなんて思っていません。
 それでもわたしは野党の政策に比べたら与党のほうに一日の長どころか優位性があると感じています。
 だからわたしは――
 「一度くらい与党も政権から落ちたらいいんじゃね?」
 ――なんて言いません。
 いまの野党に政権握らせるくらいなら、現与党のほうがベターだと信じています。


 現野党を支持する人も、野党が良いのであればそれを明確にして欲しいのです。
 「いいんじゃね?」
 というような適当さではなくて。

 仮に、仮にですよ?
 与野党が掲げる政治方針が甲乙付けがたいのであれば、引き継ぎなどが発生した場合のロスが少ないだけに与党が継続するほうがマシだと考えます。
 そこへ無理に交代を迫る理由にはなりません。
 そこでも敢えてなお二大政党制を掲げて交代を迫るというのは、祭事の管理責任者を各町内で持ち回っていくムラ社会制度の再現でしかありません。



 かつてドイツでナチスが政権を取ろうかというとき、閉塞した国家の未来を彼等に賭けた人たちが多かったのではないかと推測します。
 でも、いまのわたしたちはあのときを振り返り――
 「ナチスに政権取らせてみたらいいんじゃね?」
 ――などとは思わないハズです。
 それは何故でしょう。
 もちろんわたしたちがナチスのやることを知っているからです。


 それを考えると、「いいんじゃね?」という適当さで臨む人は、やはり政治について関心が無い、知識が無いのだと思わざるを得ません。
 わたしが思うには、野党のやり口を知っていればそんなことは言わないハズだからです。
 あるいはそのやり口をわたしとは反対に評価をしているのであれば「いいんじゃね?」という適当さで臨むことも無いハズです。
 どちらにしても、その程度の考えで与野党逆転を望む人は、こと政治に関しては害悪でしかないという判断に至ります。
 そんな安易な気持ちでいるなら、むしろ無投票であったほうがマシです。



 やりたい放題であった与党に対して軽く灸を据えたという意味で今回の都議選がガス抜きになって、近いうちにあるであろう総選挙では真っ当な選挙になることを願っています。
 今回の件で苦労するのは与党ではなく、石原都知事であるところがまだまだ救いですか。


 自分たちには社会を動かす力があると信じて、そしてもっと考えて欲しいのです。
 考えた上で政権交代を望むのなら、あとはもう民主主義という力で社会を作りだしていきましょう。
 うーん……。
 原作をきちんとなぞっているだけに悪いとは言い難いのですけれど、パッとしないという印象はぬぐえないかなー。
 アニメ化へプラスα が無いですし、「4コママンガ的手法」までもアニメ化で変換せずに描いてしまっているので不明気味な点がありましたし……。

 原作での1つのネタの終わりを、そのまま場面転換で済ませてしまっているのはー……4コマ原作アニメの定番手法とはいえ今の時代で褒められたやりかたではないなぁ。
 責められるものもないかもですけれど、それはあまりに考え無しではないかと。


 CVは是非が別れるかなー。
 トモカネ、ナミコさんあたりは◎なんですけれど、キサラギちゃんとキョージュは……。
 とくに戸松遥さんasキサラギちゃんの声は、ノドで作っているカンジがしてどうにも頼りなく感じました。
 名塚佳織さんasキョージュも、作っているっちうか合わせているカンジがして……。
 どうもまだ「キャラクター」と「声優」が乖離している気がするのですよねー。

 反対に沢城みゆきさんasトモカネ、堀江由衣さんasナミコさんは、しっかりとお腹の辺りから出ているように聞こえて、キャラクターと一体感を覚えます。
 ことに堀江さんなんて、ちょっと今までになかった声を作られているように聞こえて、すごいなーと。

 徳永愛さんasノダミキちゃんは、ちょっとまだイメージについての安定感を欠いているような。
 良く聞こえるときもあれば、口先だけで演じられているようにも感じるときがあって。


 翌朝に『クロスゲーム』を見た後では、やはり戸松さんは『GA』では作っているなー……という印象を強くしました。
 聖闘士ですら飛び道具での競い合いだったというのに、ガチで殴り合いをしたキュアピーチとイース様はマジパネェ……。
 ケンシロウレベルじゃなかったですか、あれは。
 しかも駆けつけた仲間に向かって「手を出すな!」ですもん。
 おおお……。

 イース様のタイムリミット描写も見事。
 日曜朝から、あれはちょっとしたホラーでした。
 サウラーとウェスターの淡泊さも恐かったー。
 命っていうものだけでなく、その人生までもをデジタルにとらえているからこそ言えるのですよね。


 そしてついに、つーいーにっ、キュアパッション様が降臨されたのですけれど、それですぐにフランクな仲間にならないところもステキ!
 どこまでドキワクさせてくれるんでしょうか、イース様は!(≧▽≦)




 んで今日はアニメイト池袋店で催された「祝!アニメ化記念 「聖剣の刀鍛冶」文庫&コミックス Wサイン会」へ行ってきました~。
 サイン会は今日だけで3回もあって、そのうちの最後の回へ。
 さすがに最後の回ということでか、始まるさいにもなんかもー緊張感よりも、これで終わりだ~……みたいなぼんやりとした雰囲気が漂っていたかなぁ(笑)。

 冒頭にアニメのティーザームービーが流されて煽るのですけれど、まあ、そんなには盛り上がらず(苦笑)。
 この会場に来ているくらいの人は、このムービー、見てますよねぇ……(^_^;)。


 そんな次第で始まりましたサイン会。
 最初に三浦勇雄先生、屡那先生、山田孝太郎先生からひと言ありました。
 まぁ、このあたりは3度目ともなれば……というソツの無さ(笑)。
 それが終わりましたら、もうすぐにサイン会なんですね~。


 もしかしたら後半で面白いことが起こったかもしれませんけれど、わたしはかなり前のほうで済ませてしまったので分からずじまい。
 終わった人は早く早く外へと流されていきましたからね~(^_^;)。


 んで、サイン会と言えば原作者の方々とお話が出来るってことなので、ここは気の利いた質問をして……きたかったなぁ(T△T)。
 以下、わたしの質問と先生たちの答え。


●三浦先生
Q:前シリーズも今シリーズも常に逆境に追い込まれるキャラクターたちですけれど、キャラクターの言動については「先生自身に近い感覚」であるのか、それとも「こうありたい人間像」なのかどちらでしょうか?
:「こうありたい」です。自分自身は弱い人間なので、理想的な人間であれと思って書いています。

●屡那先生
Q:(今日は時間的に署名だけのサインですが)もしイラストを描けるとしたら誰を描きたかったですか?
A:リサです。自分はリサが大好きなんです。 ←力強かった~(笑)

●山田先生
Q:アニメとも小説とも違うマンガの魅力ってなんでしょう?
A:新たな驚きを作れるところです。動きや止め絵で、コミックならではの驚きを与えたいです。

 なんというか、先生みなさま「らしい」お答えをされていらっしゃったな~という感想が。
 さらにそれだけでなく、こんな曖昧な質問に対しても答えが揺らぎ無い姿勢がすごかった~。
 お三方、皆々様の中で、この作品へのスタンスがハッキリしているのでしょうね。
 うーん、好感度は上がったわー(^_^)。


 原作のほうはまさに「絶望」というシーンで終わっているのですけれど、いやいや、しかししかし。
 この作品の彼ら彼女らが、すんなりこのままで終わるわけがないのです。
 それを信じられるからこそ、いまのこの逆境は引き絞られた弓なのです。
 大逆転を信じて、次を待っています!

 わずか2シリーズしか上梓していないとはいえ、物語にそこまでの信頼感を預けられるだけの作品を築き上げてきた三浦センセの活動には感服いたします。
 『聖剣』もまだシリーズ累計で57万部でしかないらしいですよ?
 それでアニメ化ですか……。
 角川グループなら、まだドラマCDレベルですねぇ(^_^;)。




 シリーズ第三弾は再び駅ビル内の書店に戻って、「本屋限定の名探偵」多絵ちゃんが次々と事件を解決していくスタイルへ戻りました。
 うん、わたしはこちらのスタイルのほうが好きかな~。


 聡明だけど不器用で、それでも書店が大好きな多絵ちゃんの活躍は今回も冴えわたっていました。
 むしろその「書店好き」という気持ちに対して、いままでと比べてよりオープンになって感情表現するものですから、捜査や推理に前向きな雰囲気が。

「許されないですよね。本屋をコケにして、お日さまがのんびり拝めると思ったら大間違い」

 た、多絵ちゃんんんんん????(笑)

 昨今、アンニュイな空気を漂わせる探偵が少なくないように思えるだけに、事件に積極的にからんでくる探偵さんは嬉しいな~。


 予約の受付から発注、棚の構成に雑誌の付録詰め。
 書店にまつわる仕事が事件にきちんと?絡んできて、その道ならではのプロの推理という趣が楽しいったら。
 専門性をただの知識のひけらかしに終えるのではなく、それでストーリーを立ててくるのですから感服です。
 そういった普段表からは見えない「プロフェッショナル」な仕事は、エッセンスとしても興味深いですし、また読み手の関心を惹くところでもありますよね~。



 5編収められているなかでは、雑誌の種類が謎を生んだ「バイト金森くんの告白」が好きかな~。
 そうなんですよねー。
 女性誌とかスポーツ誌とか、単にジャンル分けして覚えているだけじゃダメで、そこになにが書かれているのか誰が執筆しているのかとかまでをおぼえていないと書店員はダメなんですよねー……(´Д`)。
 それがきちんとできているあたり、人数は少なくても丁寧で気持ちの良い書店ですよ成風堂は。

 あとはまあ、金森くんの鈍感さが微笑ましいお話でもありました(笑)。


 表題作になった『サイン会はいかが?』も中小の書店が抱える苦労が良く描かれていて面白いのですがー。
 んでもトリックっちうかガジェットという点ではあまり好きではないかなー。
 新進気鋭の探偵作家がある事件に巻き込まれていて、今度サイン会を行うことになった成風堂もそれに巻き込まれる……という形なのですけれど。
 しかし事件解決の鍵が、その探偵作家が上梓した作中作にあるというトコロがどうにも気持ちよくなくて……。

 たとえば物理トリックなどですと成功の可否についてはおのずと限度があるハズです。
 「室内で核反応が起これば、それは可能だ」
 とか言われても、正しい機材が無ければ不可能です(機材があってもこれは……(笑))。
 しかし作中作に鍵が隠されているというのは
 「ここで『核反応』と書かれてあるのが証拠です」
 って言っちゃえば成立しちゃうんですよねー。
 事件解決への裁量権が、あまりに作者のほうへ傾きすぎている、有利になりすぎていると思うのです。
 トリックの成否について読み手のイメージによる審判がくだされることなく、そこではもはや「気付くか気付かないか」のチェックが入るだけという……。


 最後にあえて指摘するなら、作中作に鍵がある場合「成風堂事件簿」でなくても読解力のある読み手がひとりいれば物語は成立してしまう……という点が、この掌編への評価を下げているのかもしれません。



 それでも全体の構成は好みですし、さあ成風堂に持ち込まれる次なる事件はなにかな~……と、楽しみなシリーズであります(^-^)。
 『ハヤテのごとく!』をひさぶりに観たのですけれど。
 なんだか、こう、『咲-Saki-』を観ているような錯覚をおぼえたりして(笑)。
 ほら、ナギとヒナギクの声が……えーっと、ねぇ?(^_^;)

 日曜朝でもOKな雰囲気を持った作品ですけれど、深夜のゆるーい気分で観られる作品でもあるなーと思いました。



 『大正野球娘』は、やぱし「人を楽しませる」エンターテインメント作品としてなにか欠落しているような気がしてなりません。
 「大正時代に女の子が野球をする」という部分がキャッチなのですけれど、その理由付けが弱いのでそのキャッチーさも成り立っていない気がするのです。


 第2話ではいよいよ仲間集めの段に入ったのですが、これがまたさして困難にぶちあたらないものですから盛り上がらないことこの上なし。
 もちろん当初は成り手がいないという描写は入るのですけれど、しかし結局のところ「野球をやりたい女の子」が身近にこんなにもいたので、「自分たちが動かなくても向こうからやってきた」状態なのですよねー。

 そうホイホイと「野球好き」の女の子がいる状況というのは現代ですら難しいところではないかと思いますし、その理由からすれば「大正時代」というディティールにも必要性があったのか疑問に思ってしまうのですよ……。

 しかも新聞部という正規の部活から人数を引っ張ってきちゃったものだから、先方の活動が立ちゆかなくなってしまう始末……。
 これは道義的にどうなの……???


 先月までは木曜深夜はアニメフリークにとって本命に近い時間でしたけれど、残念ながら『大正野球娘』はその後番としては荷が勝ちすぎているように思います。
 しかしキャラクターは動きますし作画は崩れませんし、見られる絵作りはしているのですよねー。
 週の真ん中のリリーフ的作品だと思えば、これはこれで適当なクオリティなのではないかと(^_^;)。



 向こうからやってきた……と言えば『咲-Saki-』の鶴賀学園 加治木部長と桃子さん。
 部長の「わたしは、君が欲しい!」には吹きましたけれど、しかしそこで桃子さんのほうから寄ってきてしまってはなぁ……という思いが。
 そこはカンでもなんでもいいので部長自身が桃子さんを見つけてあげるのが王道なんじゃないかなーって。
 まぁ、それだけ桃子さんが嬉しかったのだと思えば、許せる気がするっすけど。

 このふたりって、もし万が一なにかの誤解がきっかけで桃子さんのほうから身を引いてしまうと、部長は二度と探し出すことが出来ないんですよ?
 そこが、なんというか不安で……。
 世界の誰もが見つけられなくても、部長だけは見つけてあげられるようになって欲しいなぁ……。

 しかしいつの間にか鶴賀学園の陣容がえらくキャラ立ちしているのはどうしてでしょうか(笑)。
 完全に風越を追い落としましたよね!
 ワハハ(笑)。
 公式サイトでもついに桃子さんの画像がクリアになりましたし~。

 アストラエアの丘に鶴賀学園が存在していたら、加治木部長のエトワール選出はカタイところでしょう(笑)。
 「STUDIO VOICE」休刊のお知らせ
 お、……おお、おおおお…………おおぅ??
 これも時代なのかなー……。
 雑誌という媒体が不調であるというのはもちろんありますけれど、カルチャーとしてなにかを語る、語れるような時代ではもはやないということなのかなー、って。

 消費の速度は上がり、ある一定の時期だけでも感覚を共有するということが難しくなったなーと考えずにはいられません。
 共有できるのは、消費する、という行為だけ……なのかなぁ。
 それが祭りというであることは、部分的にしろ嬉しくあるのですけれど。


 せっかく『ヱヴァ』公開してるんですから、最後にまた特集を組んでですねー(笑)。



 アスカの私服姿をもとめてNewtype最新号を買ってみたのですがー。
 ……載ってやしねぇ(T▽T)。
 ちうか、アスカに対してのページ割りが少ないったらないわー。
 声優インタビューも林原さんと真綾さんだけだったしー。
 みやむー……(T△T)。

 もっとも8ページも使っているのは最長作品ですし、がんばったのかもですがー。
 通常の売り方をしていないので(インディーズ扱い)、もらえる宣材画像が少ないのかも。
 そうなると他誌でも同じような状況かもですし、ムックのようなものが発売されるまで我慢するしかないのかなー。
 むしろ『CUT』買うしか(笑)
 新房監督&シャフト、今期作品対決!
 『【懺・】さよなら絶望先生』 vs 『化物語』!!

 んー……。
 どちらも「監督作品」「シャフト作品」らしくって、対決にならないなー(笑)。
 あえて指摘するなら、その「色」が当該作品に合っているのか……でしょうか。
 もうここまで独自色を出してしまうと表現のアプローチとして逆になっているのではないかと思うのですよねー。
 作品の魅力を伝えるためにその手法があるのではなく、手法を表現するために作品がある……というような。
 ですから作品と表現者の出会いが倖せであったのか不幸せであったのかは、もう天運に任せるしかないっちう……。


 その視点から言わせてもらうと、『絶望先生』は倖せな部類なのではないかなー……と思います。
 もともとこれまでのシリーズがあるので印象にも慣れがありますし、原作からして一般的な見せ方に倣っている作品では「ない」ですしねー。
 表現としてアニメにおいてはエッジな新房節が持ち回されても、そもそも原作の表現法を通常のアニメ手法では活かせないのですから「これはこれで」という印象になるっちうか。

 フグの白子の代わりにタラの白子を持ってきてもしかたないでしょー……って話に近いのかも(by『美味しんぼ』)


 一方、『化物語』にいたっては、まだこの両者の出会いについて倖せだったのか不幸せだったのかは不明……でしょうか。
 『絶望先生』はコミックという視覚的ジャンルであるのでアニメとは近しい間柄ではあったと思うのです。
 しかし『化物語』は小説という媒体ですから、そこはコミック以上に「読み込む」変換が必要になってくるというワケで……。
 その変換においてノイズがはいってしまったのかそうでないのかは……まだわからないってことで。


 しかしことわたしに関して言えば原作を知らないだけに、新房節が効き過ぎているようなカンジがしないでもなかったです。
 奇抜すぎる表現が多いので、それが原作でどう表現されていたのか、きちんと補完状態にあるのか興味あるところです。
 あ、ステープラーの件とかは原作でも同様なのだなーと思ってますよ?
 そういう部分ではなくて、委員長の独白シーンとかどうなっているのかなーって。


 ああ、でもしかし。
 最近のエッジなアニメでは「キャラクターを映さず、背景をザッピングさせながら独白させる」手法は当たり前に使われていますか。
 『エヴァ』とか新海監督の作品でも多用されますよね。

 これが何故エッジに感じるのかと考えたのですけれど、もともとアニメーションはアニマという部分に意味があったというのに、そのアニマの体現者を存在させずに表現するという部分でエッジ――新しい表現方法となっているのではないかなー……と思いました。

 キャラクター中心にカメラを合わせて、その心情を掘り下げていくのがモダンアニメだとしたら。
 その視点を敢えてかわして見せているこうした作品はポストモダンなのかなーとか。




 融通が利かず厄介者扱いされて極北の地に飛ばされてきた中堅医師が目の当たりにする、医療崩壊の現場のお話。

 やーもー、これはすごかったー。
 事実を含んで入るにしてもひとつの偏向ではあるのだと思うのだけれど、いま、この瞬間において責任ある市民たらんとする人にはマストで読んでもらいたい作品です。
 読んで、その現象を知り、そして考えろ……と。

 べつに今作で描かれたことが全て現実に起こっていて、そして読み手へ訴えたメッセージがすべからく正しいものだというつもりはありません。
 だけれど無関心であること、そして無知のままでいることは良くないと思うのです。


 身近な生活に関わる行政、社会の規範たり得る司法、そして未来の形を定める立法。
 三権がわたしたちを守ってくれているのか、その実効性や有用性について考えてみろと問うてくるのです。



 病はマイナス状態のところからスタートしているので、それを「ゼロ」=「健康」へ戻しても感謝されない。
 健康にしてくれて「当たり前」。
 わたしたちを支えてくれていることに気付かず、ただたたサービスだけを享受する姿勢が、三権の暴走による医療の支配を許してしまうのです。
 許してしまっているのです。


 「当たり前」のことだからそこに資金を投入することは無駄であり、資金をつぎ込むなら生活を豊かにしてくれる「可能性」のあるもののほうが良い。
 宿泊施設に観光施設。
 人が集まれば地元も潤うし、魅力ある土地になれば地元の住民も豊かになる。
 それは一理あるのですけれど、礎になる部分が瓦解してしまうようでは豊かさもなにもあったものではありません。

 健康は、失ってみて初めてわかる大切なモノです。
 これはフィクションなのではなくて、やはり現実に起こっていることなんだろうな……って恐ろしさがあります。
 とくにどこが舞台と明示されているワケではありませんけれど、むしろそれが「日本のどこにでも起こっている」という事実を突きつけているようで。



 現実に起こった事件をなぞるようなかたちで、経産婦治療を巡る医療過誤問題が作中で取り上げられているのですが。
 そのなかで亡くなられた妊婦の遺族のかたが口にした言葉。
 これはあえて海堂センセが言わせているのだとわかっているのですけれど、世の中の認識としては先述の「当たり前」と同様な事例なんだろうなぁ……って。

 お産は病気じゃないんだから普通は死なない。なのに明美は死んだ。それなら医療ミスかもしれない、と考えたって当然でしょう。

 人間という存在が、どれだけの奇跡の上に生きているのか理解していない恐さ。
 俗に性教育をもっと高めるべきとの声がありますけれど、さらに大きなくくりで生命とはなんぞやというトコロから知識を与えていかなければいけないのかもしれません……。



 三権が無分別にその力を行使して自己保身と自らが得る分だけの利益誘導をした結果、弱者は怨嗟の声すら上げられなくなっている現実。
 彼等に代わって声を上げるべきメディアも、もはや代弁者たる立場を見失い、ただただ強者におもねる存在に堕しているという。

 それすら気が付かず、むしろそちらに与しているが故に自らを強者と勘違いしてしまっているという愚かな事実!
 そこへも海堂センセは厳しい目を向けています。

「メディアはいつもそうだ。白か黒かの二者択一。そんなあなたたちが世の中をクレイマーだらけにしているのに、まだ気がつかないのか。日本人は今や一億二千万、総クレイマーだ。自分以外の人間を責め立てて生きている。だからここは地獄だ。みんな医療に寄りかかるが、医療のために何かしようなどと考える市民はいない。医療に助けてもらうことだけが当然だと信じて疑わない。なんと傲慢で貧しい社会であることか」
 一瞬静まり帰った場を取りなそうとしてか、顔なじみの記者が笑顔で言う。
「相変わらず手厳しいですね。まあ先生の人間嫌いは今に始まったことではないからなあ」
「私は別に人間嫌いではありませんよ。卑しい人間が嫌いなだけだ」

 総クレイマー……ですか。

 WEBが普及して、わたしも含めてこうして感想やら批評やらを簡単に行える時代になりましたけれど、それもある意味では「クレイマー」になっているのかなぁ……と考えてしまいます。

 エンターテインメントなのだから、自分を楽しませるのは当然だ。
 楽しくない作品があるとしたら、それは自分ではなく作品に問題があるのだ!
 もっと楽しい作品を作れ!

 ――じゃあ、そんな自分はエンターテインメントに対して、なにかを返していっているのか、と。


 誰かになにかを求める、そして何かを得る。
 自分はそれにどんな代償を払うのか、その覚悟はあるのか。
 そんなことを考えてしまうのです……。




 えーっと、そんな展開なのですが、いわゆる「桜宮サーガ」としての魅力も十分にありましたよ!
 とくに終盤、次々に姿を見せるシリーズキャストには興奮!
 しかもその誰もが医療に対して強い想いを抱いている面々ばかりなので、わずかな登場であってもその想いはハッキリと示されていますし、また伝わってくるのです。

 あー、もちろん「桜宮サーガ」を知っていることは前提なんですけどね。
 メディアや司法、行政といった「自覚していない毒」に医療が弱らせられてしまったトコロへ、あの人とかあの人とかあの人とかが登場してくる流れには感涙ですよ!(T▽T)


 しかし、こうも思ってしまったのですよね……。
 今作で極北病院は、卑しい人間にさんざん食い物にされて、翻弄されて、傷つかなくてもいい人が誰かの代わりに傷ついて……。
 社会が正しく、優しさに満ちていれば、こんなにもボロボロになることはなかったハズなんです。
 だから、最後に勇気ある人たちが手を差し伸べてくれたことで救われた(ように希望が持てた)としても、それはマイナスの状況がゼロに戻っただけなんですよね。
 事態は当初のところから、少しも好転していないっちう。

 それはまるで健康に対する人々の意識にも似て、やるせない想いがしました。





 シリーズ第2弾はホームの成風堂を飛び出して、地方の老舗書店を舞台にした幽霊騒動を追うお話。
 舞台が書店の外となったことで、書店という限定された空間だけではやぱし事件の多様性を持たせるにも苦労しちゃうのかな~……と思ってしまった部分もあるのですけれど。
 しかし前作は連作短編という形で既にいくつかのパターンを見せてくれていますし、シチュエーションに詰まったから舞台を外にした……という印象はそこまで深くはなかったです。
 まだ2作目だというのに、はやくも数本のタイトルを抱えているロングシリーズのような風格があると錯覚するっちうか(笑)。


 そんな次第で今回は杏子さんと多絵ちゃんが手を取り合いながら旅立って(違う)、元同僚から寄せられた相談事を解決していくわけですがー。
 そこそこ年の離れたふたりだというのに、こうしてプライベートでも仲良い(?)ところを見せられるのはなんだか嬉しいな~っと(^-^)。
 事件のことがあるとはいえ一緒に旅行する間柄って、すごく近い相手っぽいじゃないですか。


 作中で語られたところによれば今回の旅行に限らず休日を一緒に過ごすこともあるらしいですし、そんなふたりの仲の良さに和む~(´∀`)。


 シャーロック・ホームズの例にならうと、助手役は読者寄りの常識人であり、探偵役は世間との関わりが不器用な天才肌……となると思うのですが。
 今作での探偵役の多絵ちゃんは、言葉通りの「不器用さ」もあるのですけれど、それだけでなく何でもそつなくこなせてしまう天才ゆえの苦悩を抱えていることが明らかにされたのですよね。

 多絵ちゃん自身はそれを運命のようなものだと諦めて受け入れることを認めていたのですけれど、やっぱり心の奥ではそんな自分のことを惨めだと感じていて。
 そんな無自覚の悩みを抱えていたところで杏子さんと出会ったことが、たしかに多絵ちゃんを救ってくれたんだな~って。
 単に探偵と助手という事件を通じた関係だけでなく、生き方や人生というレベルにおいてもふたりは絆を持っていると感じられたところが良かった~。



 で、事件の展開のほうですけれど、こちらは極めてオーソドックスな流れだったかな~って印象。
 事件の概要を掴んだあとは容疑者ひとりひとりと面会していって様子を探り、全て巡ったところで焦った犯人が動き出して尻尾を掴む、みたいなー。
 そこへ地方都市ならではの時代背景や、かつてその土地で起こった不幸な事件などが絡んでくるあたりは本当に古典の薫りが漂ってきます(^_^)。

 そしてタイムリミットが迫る中で、容疑者全員を集めて名探偵がさてと言い!
 いや、もう、なんという王道パターンですかこれ!てなもんです(笑)。
 推理小説らしい安定したモノがありました~。


 んでも事件の真相やギミックについては、思いのほか捻りがなかったっちうか仕掛けが無かったかな~ってカンジで、やや淡泊だったかも?
 むしろ冒頭の、コミックにまつわる掴みの事件のほうが印象的であったかもです(^_^;)。


 とはいえ、今回も書店を巡る事件として存分に業界人視点らしさが織り込まれていますし、作品としての方向性はがっちりしていました。
 調べただけではわからない、リアルな空気とでも言いましょうか。
 このあたりを感じられるのは、さすが元書店員の大崎センセというところでした~。
 富士スピードウェイ、日本GP開催中止を決定
 先日の情報がようやく公式のものに。
 しかし――

 依然としてF1開催の熱意は有していることを明かしており、経済状態の回復によっては再び日本GP開催に手を挙げる可能性も十分あるという。

 ――って、なんじゃらほい。

 門戸が開かれている以上、なるほど出入りは自由なのかもしれませんけれど。
 今回の開催中止のこと、および金の力で開催権をぶんどってきたときに起こった騒動について、なにも思うところはなかったのかと……。


 TOYOTAというチームも、冨士スピードウェイというサーキットも、決して悪いモノではないというのに、なんですかこの悪印象は。

 話は違いますけれど、先だって中村俊輔選手の移籍話を頓挫させた横浜Fマリノスの首脳陣しかり、こうした事態にあってはきちんとした責任の所在が明らかにされるべきだと思うのですが。
 別段、ひとりにその罪を押しつけて罰したいという気持ちだけでなく、なぜそのような事態が起こってしまったのかを考えていかないと。

 責任とは、次代の礎になることを言うのだと思います。

 現在の世界不況は個人の責任を問えるものではない……という向きがあるかもですが。
 問題はそこではなく、わずか2レースで撤退を許すというモータースポーツへの文化的意識の欠如と社会的&道義的責任なのです。
 TOYOTAという企業が「F1は趣味とお遊びで行っているものです」と明言するなら話は別ですが。
 趣味でやっているんじゃあ、しようがないデス。
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