うぁぁぁぁ…………っ!
なんちうのかなー。
この「自分が思うほど、世界は自分のことを嫌ってはないよ?」というカンジ。
だから、もっと自分のことを、生きる世界のことを好きになってみようよ……って言っているかのような。
はむばねセンセの作品はまだ2作しか読んでいないのですけれど、こうした優しさと悲しさが相半ばして存在する雰囲気は、ホント好きだわ~。
人の世界に害なすとされる魔族だけれど、魔族には魔族の生活があって。
願うのはつつましやかな生活だけなのだけれど、ただ存在するだけでも人の世界に影を落とす彼らの存在は人間にとってまごうことなき「悪」。
だから、人は魔族を滅せなければならない――自分たちのために。
いわゆる「勇者による魔王討伐」のお話を、魔王サイドにウェイトを置いて一般的なそれから逆転した物語……というのはわりと聞く着眼点なので目新しさは無いですけれど。
そこではやはり人と魔族の関わりや対立項をきちんと描いた上で、明確な落としどころを提示しないと物語として成り立たないと思うのです。
そういう点で今作はひとつの物語の答えとしての「手段」をきちんと用意していたなー……という印象が。
全ての物語に今回の答えが当てはまるとは、もちろんわたしも思わないです。
でも、今回、物語の果てに導かれた答えは、澄人という先入観に囚われない自由な精神の持ち主の勇者と、自らを戒め、律し、善悪を判断できるサフラという魔王の娘であったからこそ手にできた答えだと思うのです。
それはもう、彼らであったからこその物語であり、また、物語が彼らを必要としていたということなのではないかと。
主人公が、ヒロインが、助演がモブが、別にほかの誰でも良かったような物語ではなく。
物語と登場人物、それぞれが不可分の存在であったように思うのです。
そうした関係を構築したはむばねセンセのセンスには惚れますわね~。
もっとも、それだけ物語と登場人物が深く結ばれていると思われる作品なので、わりと特異な物語でもあるとは思うのです。
んでも、そうした「アクの強さ」も作品の、そしてはむばねセンセの魅力なのではないかな~……と、わたしは好意的に思います。
少なくとも、せんせの作品からはイヤらしい悪意は感じませんし。
とにかくセカンド・ターニングポイントとクライマックス、そしてエンディングまでの流れがスゴイ!
驚きを引きずりつつ迎えたクライマックスで、さらにその上を行かれてしまったわ!
勇者は、やはり勇者でした……。
たったひとつの命で世界が救われるなら、大切な人が救われるなら、それを引き替えにできるのが勇者。
その覚悟を決め、全ての責任を負う存在こそが勇者なのだなぁ……と。
そんな勇者だからこそ、全てを「預けてしまった」わたしたちは、自分自身を許せなく、やるせなく思ってしまうのですよね……。
むしろ作品の中で描かれている「人間」の姿は、辛い運命を受け入れる強さを持っている魔族と比して、同じ辛い運命だとしてもそれを誰かに転嫁せざるを得ない弱さを持って描かれていることで、そうしたやるせなさが強く伝わってくるのですよね。
そうした弱さは、はたして人間であるわたしたちの誰もが持っているものなので……。
彼らを非難することは簡単だけれど、そのときは自分のことも見つめ直さないとね……。
がしかし、そこまで引き絞られたクライマックスだからこそ、迎えるエンディングが眩しいものになったのだと思うのですよ。
お見事!
とても素敵な物語でした。