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 趣味の範囲から生活費を稼ごうとする人まで、ネットオークションへ参加した人たちが出品者と落札者という関係を超えてリアルでも不思議な縁で出会うことになった物語。


 喜劇……になるのかな?
 不幸になる人がいて、関わった多くの人はその不幸者があらためて起こすトラブルに巻き込まれた感があるのですけれど、全般には振れ幅大きいイベントを楽しむものだと思いますしー。


 ただ、表題に掲げるほど「オークション」が物語に関わっていたとは感じられなかったかなー。
 人々を結びつけるきっかけ程度の重さであって、そこがなにかに置き換わっても問題ないくらい。
 もっとも、オークションに焦点を絞って物語るようなことであったりすると、技術論だったり裏技だったりと専門色を強めてしまうことが考えられますので、まぁ、これはこれで作品のなかではよろしい塩梅だったのかもしれません。



 そして関わり合った人たちがクライマックスでは一所に集まって最大の喜劇場面を迎えるのですがー。
 これがまた強引なカンジで、喜劇としてもコメディとしても感心しなかったなー。
 なぜそこに集うのか、ちょっと勢いだけで進んでしまっているカンジ。

 もちろんそこに疾走感があればエンタメとして愉しむことも出来るのかもだけれど、そもそもキャラクターの関係性が希薄であり、かつ個々にドラマを持たせてしまっているせいで視点がチャカチャカと切り替わって忙しないこと!
 疾走感ではなく、まとまりがないという方向に感じました。



 全体としては、フィクションすぎる……という感想になるのでしょうか。
 リアリティって別に真実を描くことではないと思うのですよね。
 それがウソだと頭の中では理解していても、心でそれをリアルだと感じるように描くことがリアリティではないかなー。
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 ラスト、どちらにでも受け止められるよう決定的なコトを描かずに「結末やアナタの考えるように」とする形式のリドルストーリーが連なった作品。
 そういう技巧的なことは、んー……という次第でいまひとつ意義を見いだせなかったのですけれど、でも根本的にそういう雰囲気っていうんでしょうか、このような描き方って米澤センセって普段の作品からあるような気がします。
 ほかのセンセと比べて、ラストに事実の重みだけを乗せて心象や結論じみたことを述べないっちうか。

 というようにカンジたので「リドルストーリー」という形式そのものを前面に打ち出した今作にはどうにも収まり悪い気がしてました。
 普段、無意識で行っていることをあらためて意識的に行う居心地の悪さと言いましょうかー。


 とまれ、偶然的に引き受けた書籍の捜索を続けるウチに、やがて隠されていた隠していた過去の事実と向き合っていく流れは大きく引き込まれる強さがあってさすがだなぁ……と。
 こういった構成についてはもうベテランの域ですよね~。

 で、どのエピソードからも、そして最後に打ち明けられた真実からも、甘く許されるような希望とか優しさとか見えてこないあたりが厳格な雰囲気を受けたりして。
 主人公が高校生である<古典部>や<小市民>シリーズでは抑えられているそれが、主人公の年齢が高くなるにつれてタガが外れていくような……。

 もとがライトノベルレーベル出身ということで、なにか意識してしまっているトコロがあるのかしらん。




 ぎゃ――っっっっっ!!!
 み、ミステリだわ!!!!!(><)
 こわい、こわい……。


 んーと、「殺人を繰り返した女性が、なぜ人を殺し続けたのか」という命題に対して「殺人事件が起きれば若くてたくましい刑事とまた会えるから」って答えがなされるエピソード、ありませんでしたっけ?
 前提条件としてもう少し詳しい状況があったとは思うのですが、ちょっと覚えてないので申し訳ないのですが。

 えっと、つまり。
 「人殺しをしたからといって、必ずしも当該人物同士で事件は完結しない」
 ――ってことで。
 そうなるとむしろ、「そんなことで人殺しをしてしまえるんですか?」って常識外の思想を突きつけられる恐怖があると思うのですよ。


 そのほかにも舞台裏を七分がた見せておいて、ラストへむけて残り三分をジワジワと提示していくやり方が――っ!!!
 暗いトンネルの中でヒタヒタと足音が背後からせまってくるような恐怖!
 そこまでしておきながら、しかしやはりラストのインパクトたるや、ミステリの落ちとして稲妻が走るような衝撃ですよ。

 うはぁ……これは、後を引くわ……。



 ところで。
 米澤センセって、過去の名作などからヒント?を持ってくることが多いですね。
 名作や名画の知識があることを前提に仕掛けを作っているっちうか。

 んー……前提ってほどでもない、ですか?
 状況自体は知識の有無如何によらずともきちんと描写されていますし。
 しかしただ物語における添え物の知識とだけ導入しているわけではないので、こういうこともオマージュの一類なんでしょうかねぇ???




 居場所を探すように校舎の屋上に集った4人の高校生が、そこでの安穏とした時間を守るために屋上に持ち込まれる事件の数々を解決していくお話。

 もっとも事件が持ち込まれて「屋上が脅かされている」と感じることについては、彼らの一方的な思い込みに過ぎないのですけれど。
 んでも、思い込みであっても各人が気になっている、あるいは関わりを持ってしまっている事件でもあるので、それについて解決に動こうとするのは友情からの思いやりである……と言えなくもないのかな?


 また舞台背景として、その世界の超大国の大統領がテロリストに拉致されて軍事基地のひとつも掌握されてしまっているというものがあるのですが。
 で、大統領(と基地に勤める人たち)を人質に、テロリストは世界を脅迫しているという。

 こちらについては社会秩序が壊れていくためのソースとして用いられていただけで、「屋上」の物語にいては大きな関係があったようには思えませんでした。
 タイトルで言うなら、「屋上」と「ミサイル」がうまく混ざっていないっちうか。
 昨日までは確かなモノだった社会が緩やかに壊れていき、実は秩序なんてものは思った以上に脆いものだったのだと示せれば良かったワケで。


 そこがうまく繋がっていればなー……と思わずにはいられないのですけれど、もしかするとその両者を関連づけてはウソくささが許容量をオーバーしてしまうのかも。
 緩やかに壊れていく社会のなかで、少しだけ超常めいた日常的な事案に思い悩み解決しようとする高校生のバイタリティこそが作品の妙だと思いますし。

 多少、都合良く作られた感があっても、そこは爽快感とのトレードオフかな~。
 何でも出来ると信じられた、高校生という年齢が持つ可能性っちうか。
 そんな中に、当然、好きだ嫌いだのエピソードがあったり、ロックテイストに尖ってみたり、物わかりの良い大人に逆らってみたり……と詰め込まれていて、賑やかさにかけては天井知らずだったような。


 「屋上」を守るために結成された「屋上部」という設定も、かなりトンチキですけれど、そんな「屋上部」の弱点は「雨」であるというような設定が用意されていては適当すぎると断じるワケにもいかないですよね~。
 そうした小ネタ?であろうと、作中ではきちんと消化されているため、作り込みに甘さを感じるほどではなかったですし。

 思いつきの設定だけではない、物語との連動性とでも言いましょうか。
 屋上へ持ち込まれた数々の事件が集約していく流れは、なかなかに面白かったと思います。
 「このミステリーがすごい!」大賞選評では半数の選者に「偶然に頼りすぎて現実的な説得力に欠ける」と言われてましたけど(笑)。
 そーかなも、と思う反面、そーかなーとも思ったり。
 そんな偶然が起こるから、彼らは物語の主人公なんではないの?って。
 それを指摘するなら偶然の発生率より、物語の箱庭的狭小性を指摘すべきとか思うわー。



 あ、その選評なんですけれど。
 ダメだししている評者がとにかく「伊坂幸太郎」リスペクトしていて萎えた感が。
 「○○に似ているからダメ」だと論じるのは適当ではないと思うのですよね。
 そういう指摘が許されるなら、作品とは先行者が絶対なのかと。
 似ている、類似している、想起させる。
 その中で技術的や技巧的に劣っているのか優れているのかを評してくれないと。

 「伊坂幸太郎をまんま真似たような設定や科白まわしが鼻につく」

 評者がどれだけの読書量を経てきているのかわかりませんが、選評を読む人の中には「伊坂幸太郎」を知らない人もいるでしょうし、こうした評の表し方は「まず伊坂幸太郎くらいをマストで知っておいてから」という条件を突きつけているような気がして鼻持ちならないです。

 べつに特定個人の名前を出さなくても、単に「既読感があって新鮮味がない。流行りの文体」とかでよろしいんじゃありませんこと?ってことでー。
 個人の感想ならまだしも、公正さが求められる賞の選評などで言って良いのか、わたしは疑います。
 もはや犯人が誰であるかなどということは物語において瑣末なことになっているところがすごい……。
 むしろ本来は味方であるハズの小佐内さんのホワイダニットな推理小説になっている倒錯状態(!?)が面白いわー(笑)。
 ある意味、フーダニットからホワイダニットへ変化していく推理小説の歴史において、自陣営?である側の人物の行動理由を探るというさらに一歩進んだ革新的作品なのかも!?……なんちて。


 で、そんな小佐内さん。
 さすがと言うべきかやっぱりと言うべきか、人を操るその手腕に衰え無し……というところでしょうか。
 結局、登場人物のほとんど(すべて?)が彼女の影響を受けて動いているんですもん。
 その気になれば高校のひとつくらい掌握できるんじゃないかしら、この女傑(笑)。


 対する小鳩くんは今回も名推理を披露してくれますが(本人としては遺憾かもしれませんけれどー)、その推理にも一分の隙があるところがまたなんというか。
 その甘さ?が中学時代に彼の鼻っ柱を折ってくれたのでしょうけれど。

 推理の全体像から細部まで把握しているにもかかわらず、しかし解決に関係ない部分のひとつやふたつが謎のまま。
 それを小鳩くんは「自分のミス」とか言って曖昧に済ませてしまうんですよねー。
 その甘さから小佐内さんには一枚上を行かれているのではないかって気が。


 しかし小佐内さんが「恐い」だとすると、小鳩くんは「酷い」かもですなー。
 フリをするなら徹底的に!
 相手に一分の隙も見せてはいけないのに、その努力を怠るんですもん。
 相手が仲丸さんでなければ、一方的にオトコの株を下げていたところですよ。
 とりあえず今回の裁定はドローってトコロでしょうか。

 小佐内さんと瓜野くんは、最終ラウンドまでもつれこんだところで見事KO勝ちというカンジ。
 もちろん小佐内さんが!
 しかもその最終ラウンドまでもつれ込んだのだって、小佐内さんが手を抜いてくれたから……というかワザとそこまで接戦にしたワケですし。


 「この子、他愛ないなって」


 ヒロインの台詞じゃないーっ!(><)



 ところで。
 今作を読み終えてから『春期限定』と『夏期限定』を読み直したのですけれども。
 堂島健吾くんと瓜野くんの違いがまさに描かれていたので驚きですよ。
 健吾くんは小鳩くんが堂々として推理を披露しても、その裏付けを取る手間を惜しまなかったのですよね(『春季限定』の最後の事件で)。
 これでは「迂闊」と言われてしまっても仕方がないです。
 すぐそこに学ぶべき師匠がいるのに、彼はそれに気づきもしなかったのですから。

 あと、見たいモノしか見ない、という瓜野くんの姿勢は

 「『当然ナントカだ』と言うとき、それは大抵当然ではない」

 と主張したあと同じクチですぐさま――

 「誰の台詞だよそれ、ありきたりで通俗的な、つまらない警句だね」

 と言ってのける小鳩くんには影すらも追いついていないなーという印象(笑)。
 聡明さも狡猾さも人の動かし方も猜疑心も、足りていないという証明が。
 それでいて行動力だけあるのですから、興味のあることだけ騒ぎ立てるという、まさに<小市民>……ということなのかなぁ。


 今作のラストで小鳩くんは、埋もれている「ように見える」人の中にも才能ある人が居ることを知りましたけれども。
 シリーズの終わりには、やぱし、<小市民>に生きることと<小市民>になることが別だと知ることになるのかなー。



 ところで、これも読み返していて気付いたんですけれど。
 小鳩くんってば、高校の一年生から三年生まで、その夏を彼女持ちで過ごしたことになるんですよね!
 なんてリア充!!(≧△≦)
 もう、<小市民>とか言えるレベルじゃない気が……。


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